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会津の戦国大名葦名家

1 :金上遠州:01/11/25 23:35
強かった割にマイナーなんだよね〜

2 :金上遠州:01/11/25 23:37
葦名家が何故弱いというイメージがあるのかというと、奥州の戦国史は伊達政宗を中心に見られがちだから。政宗が家督を継いだ頃の葦名は、すでに弱体化していたのだ。

3 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/25 23:37
大きな戦いでやられ役だから・・・

4 :金上遠州:01/11/25 23:38
下手すると、家臣の松本図書の方が有名だったりする・・・

5 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/25 23:39
すすす

6 :金上遠州:01/11/25 23:48
http://salad.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1006056659/l50
以前にも葦名スレあったのか・・・

7 :金上遠州:01/11/25 23:51
http://salad.2ch.net/test/read.cgi/warhis/990778346/l50
これが松本図書助スレ

8 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 02:40
金上盛備age

ところで蘆名、葦名、芦名のどれなんでしょうか?

9 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 07:21
この時代当て字おおいからな

10 :金上遠州:01/11/26 09:26
会津の天寧寺に安置されている位牌には「葦名」と表記されているし、御子孫は「葦名」姓であります。

11 :金上遠州:01/11/26 09:45
葦名氏は、葦名盛氏の代に最盛期を迎えます。
盛氏の頃には、会津のほぼ全域から仙道(福島県の中通り)北越後にまで所領をのばしました。

12 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 10:32
強かったと言っても辺境の一勢力に過ぎないからねぇ
あそこからもう少し南進してたらまた印象は違ったかもしれないけど、結局同じ辺境の伊達に滅ぼされたって言うのが痛すぎる。

13 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 12:32
僕は猪苗代盛国がすきー!

14 :佐竹義重:01/11/26 12:50
亀王丸に付いて行かせた家臣があんなDQNだったばかりに・・・・。
葦名、正直スマソ。

15 :金上遠州:01/11/26 13:00
>>14
喝喰丸の間違いでは?

16 :佐竹義重:01/11/26 14:03
>>15
白河氏へ養子入りの時は喝食丸で、葦名へ養子入りの時に亀王丸と改名したような。
元服して葦名義勝と名乗ったと。
で、政宗に追われて常陸へ戻り佐竹義広じゃなかったかな?
その後佐竹北家として出羽転封時に角館行き。

17 :金上遠州:01/11/26 14:23
>>16
そうだっけ?
亀王丸って、葦名盛隆の子だったと思ったけど、亀王丸と改名したとは初耳でした。義勝と名乗ったのは、角館に行ってからでは?

18 :大庭三左衛門:01/11/26 14:41
芦名盛氏のひとり息子が早死にした時点で芦名氏は滅亡したのでぇ〜す。
二階堂氏の10年、佐竹氏の4年はDQNの幻想〜妄想〜捏造〜。キャキャキャッ。

19 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 15:33
金上遠州、富田美作、松本図書、、、あと一人だれだっけ?

20 :平田駿河:01/11/26 15:33
ワシじゃよ

21 :金上遠州:01/11/26 16:25
佐瀬常胤は?

22 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 16:28
芦名盛氏、息子に死なれ、先祖は同じとはいえほとんど他人の盛隆を養子にしなければならないなんて。かわいそうな晩年だな。

23 :金上遠州:01/11/26 16:28
佐瀬種常の間違いでした

24 :エノキ:01/11/26 16:32
 松本図書助を語るスレ。

25 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 16:33
>>16
盛重だろ

26 :金上遠州:01/11/26 16:44
金上・針生両家は、葦名の一族ゆえに葦名四天よりも格は上だった。

27 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 16:52
あんたら凄いよ
葦名で語れるんだから

28 :金上遠州:01/11/26 16:54
>>27
葦名でご飯3杯はいけます。

29 :エノキ:01/11/26 17:08
http://village.infoweb.ne.jp/~nariyama/myner/m07.html

30 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 17:30
>>19-21
葦名四天メンバーはそこから松本が抜けるの?

31 :金上遠州:01/11/26 17:33
>>30
葦名四天は、富田・佐瀬・松本・平田の四家です。

32 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 17:46
息子の夭折で禁酒礼をだしたのって盛氏ちゃん?

伊達政宗の弟を養子に迎えるといった話もあったね

33 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 17:48
家格といえば猪苗代家も準一門みたいなもんだったんじゃないの?

34 :金上遠州:01/11/26 18:31
>>33
猪苗代家は半独立みたいな家でしたし、頻繁に主家に謀反してるので葦名家中では外様のような扱いだったのでは?と思います。

35 :金上遠州:01/11/26 18:35
>>32
息子の盛興が酒害で没して、盛氏が領内に禁酒令を出したらしいですね。

政宗の弟を養子に迎えるという話はありました。

36 :金上遠州:01/11/26 18:40
>>29
「図書」というのは、図書寮の略で、中務省に属していて、主に図書の書写・製本とか行ってました。

37 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 10:25
age

38 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 15:58
葦名で1000まで

39 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 19:49
芦名発祥地は三浦半島の葉山のほう。
湘南から会津へ行ったのは、なんか理由があったのかな?

40 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 20:07
>>39
相模は北條一門に牛耳られていたからじゃ?

41 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 23:21
あげます!!

42 :無名武将@お腹せっぷく :01/11/27 23:42
ポテチを3つ!!

43 :武帝:01/11/28 15:00
あげ〜い!!

44 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 15:04
盛舜−盛氏−盛興−盛隆−盛重

45 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 16:39
家臣と外様、同盟国の区別がつかないです。
猪苗代は外様、二階堂や畠山は同盟ですか?
ゲーム厨なので葦名氏の実態がわかりません。

46 :金上遠州:01/11/28 17:47
二階堂や畠山は、同盟というよりは従属ですね。弱小豪族の常で、状況に応じて葦名に付いたり伊達についたりとしていました。
猪苗代氏は葦名氏の同族ですが、極めて独立性が強く度々謀反を起こして代々の葦名家当主と苦しめていました。葦名家は、豪族の連合政権という正確が強く、家臣への統率力は甚だ弱いものでありました。

47 :保科肥後守:01/11/28 22:12
磐梯山麓の合戦では結束の弱さが出てか、
劣勢たる伊達政宗にさんざんやられてましたね。
輝宗を誘拐する程度が限界のようですね(藁

48 : :01/11/29 00:05
芦名盛氏のせいでガキの頃ノブヤボやりながら 芦名盛 氏という
大名家だとずーっと思ってた

49 :金上遠州:01/11/29 08:31
>>47
輝宗拉致したのは、畠山義継です〜(藁

50 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 10:29
裏で糸引いてたのは芦名だろ

51 :佐竹義重:01/11/29 11:35
スマソ、亀王丸は幼少で死去していた葦名の実子だった。まちがえた。

52 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 11:38
冷静に考えて、葦名盛氏が健在であれば
伊達政宗がこんなに有名になることもなかったろうな

53 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 14:39
芦名盛氏が健在だったら伊達、北条との関係は良好のままだったろうし
佐竹氏からの干渉もなく奥州仕置を乗り越えて江戸まで続いたろうね。
しかし享年59歳は若すぎるよな〜。

54 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:45
>>53
うーん、若すぎかなあ。
人間50年と信長も言っていた(そして49歳で死んだ)し、
そのくらいで死んでもしょうがないだろうよ。

ずっと健康を保っているなら北条幻庵のようなバカみたいに長生きする奴もいるだろうが、
病気にかかったらそれまでなケースが多かっただろうからね当時は。

55 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 22:16
>>54
激務をこなしつつ自身の体調管理に万全を期すなんて
なかなかできることじゃないよ。
徳川家康のようにしたり、毛利元就のように禁酒してしまうのが精一杯かも。

ちなみに、
織田有楽斎(享年75)
織田信雄(享年73)
今川氏真(享年77)
土岐頼芸(享年81)
有馬晴純(享年84)
などなど、マターリ野郎を始め、一体何をしてたのかその消息さえも
さっぱり分からなかった期間が長い人とか、
さっさと一線を退いた人などにも長生きが多いですね。高野山に逝った人は例外が多いですが。
若年から老年まで大変密度の濃い人生を送った人なんてそういないでしょうね。

56 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 22:21
>>55
おおっと。
前半部「家康のように摂生を心がけたり」です。スマソ。

あー、そういえば家康の人生って相当濃いですね。(幼少時から死ぬ直前まで)
歳とって耄碌したりもしてませんし。
彼のように生きようと思ってもなかなか出来ないのが
人間というものなんでしょうね。

57 :四郎丸:01/11/29 22:49
以前葦名スレ立てたら放置されたんだが・・・

>>53
せめて葦名盛隆が暗殺されなければ、もう少し
マシだったに違いない。

58 :無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 22:57
>>55
でもあのじじい水銀とか飲んでたんだぞ・・・・

59 :始皇帝:01/11/29 22:59
>>58儂も飲んだぞ。

60 :さるぼぼ:01/11/29 23:55
>>57
盛隆萌え萌え

61 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/02 07:41
定期あげ

62 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/02 18:16
寿命で思い出したが、南光坊天海って葦名一族じゃなかったっけ?
光秀説はとりあえず置いておいて。

63 :金上遠州:01/12/02 18:29
>>62
一説によれば天海は葦名の一族のようです。
何でも、葦名家の大名復帰を約していたけれど、天海が亡くなって立ち消えになったらしいです。

64 : :01/12/02 18:48
盛氏の代は最上<<伊達<芦名という力関係だったんだろうな。

65 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/02 20:37
ゲームでは表現されてないけど、
大崎という名目上の権威の下に伊達と葦名という
二大実力者が他の豪族を従えているという状況なのかな?
最上は義守の代にはほとんど伊達の属国だったらしいしね。

66 :金上遠州:01/12/02 21:24
>>65
伊達政宗の爺様、晴宗が「奥州探題」に叙せられたから、大崎氏に名目の権威すらあったのかどうか疑問。

67 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/02 22:37
>>66
政宗が仙台に入植して真っ先に大崎八幡宮を建立してるくらいだし
そーとー「権威」あったんじゃないか?

68 :Data政宗:01/12/02 22:47
44>盛舜−盛氏−盛興−盛隆−盛重
盛舜−盛氏−盛興−盛隆(二階堂盛義の子)−亀若丸−盛重(白川喝食丸・佐竹義広)

盛隆は蘆名の人質であったが、盛興の後室(伊達晴宗女、即ち政宗の叔母)と
結婚するも、天正12年10月寵臣・大庭三左衛門に惨殺される。
その子・亀若丸も天正14年11月三歳で夭折する。
その後の継嗣問題で伊達政宗の弟・竺丸(後の小次郎)を養子に迎える派と、
佐竹義重の子で白川家の養子になっている喝食丸(後の義広)を迎える派に
分裂したが、豊臣政権(当時はまだ羽柴か)の梃入れ(石田三成−佐竹義宣の
ラインね)もあり、喝食丸が蘆名家に入った。

69 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 00:20
はてはてふむぅ〜

70 :さるぼぼ:01/12/03 01:27
>>68
ちなみに盛隆が盛興の後室と初夜を迎えたとき、「御免」と言ったという逸話がある。

71 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 03:13
あげ

72 :四郎丸:01/12/08 18:55
3歳で世を去った盛隆の子・亀王丸は隆氏という名があった。
なぜか「盛」じゃないんだな。

73 :金上遠州:01/12/08 19:25
>>72
葦名盛隆の「隆」と葦名盛氏の「氏」を合わせて「隆氏」としたらしいです。

74 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 20:15
盛隆ってガタイもでかくて結構な偉丈夫だったらしいね。
んでもって男色家で、とどめにはそれがらみの「痴情のもつれ」が
あって殺されたっていうじゃない。

やるせないね。普通にしてたら義重クラスの名将になってたかもよ。

75 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 20:52
>>49
二階堂義継じゃなくて畠山義継?

76 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 22:10
>>75
二本松義継じゃなくて二階堂義継?

77 : :01/12/08 22:17
↑二本松(畠山)義継で正解。

ところで、
大崎義隆も男色で内乱を起こされてる。
武田信玄は男色の浮気で春日虎綱に弁解してるね。
男色相手の手綱を上手く取るのも名将の条件かな?

78 :75:01/12/08 22:32
>>76

その通り。sage

79 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/10 23:42
>>74
伊達氏が裏で手を回したというのは被害妄想かね。

80 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/11 00:30
>>74
被害妄想というより、褒めすぎ。

81 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/11 23:13
伊達家の敵のよーなイメージがあるが、
盛氏の頃までは実は伊達家と友好関係にあった芦名家

そんなこんなで今日も佐竹との戦をくりひろげる芦名氏だったが
ある日、盛興が戦場に出てみると殺気立った目をした中になんか
一人だけハァハァしてるやつが敵にいる。キモイ野郎だなーと
思いながらも。戦が終わって城に帰ってしばらくするとそいつからの
ラブレターが届いている。

なんとそいつは佐竹氏の御曹司、義重であった。
情熱的な言葉に答え、書状を返すうちに盛興もその気になってしまい。
敵同士ながら人目を忍ぶ仲に。そんなこんなで、盛氏が死んだあと
いつのまにか芦名氏は親佐竹に鞍替えしてしまっていた。
これが家臣内の分裂を生む遠因となり、芦名氏は結局佐竹氏の
植民地化した挙句に、みごとドキュ眼竜政宗につけこまれて
滅ぼされてしまうのである。

82 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 11:17
伊達家の記録だと、どうしても伊達に都合がよいように書かれている。
人取橋の戦いの際の佐竹軍撤退も、伊達政宗の謀略なんて書いてあるらしいし。

83 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 17:00
>>82
『佐竹義重はドキュソ』と書かれて無いだけ数倍マシ。
つーか君はあの撤退の理由を知っているのか?

84 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 17:56
>83
教えてみれ。

85 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 15:36
>83
佐竹義重?上杉義重なら知ってるが・・・

86 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 16:37
佐竹の都合だよなぁ

87 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/13 19:53
結局葦名は、秀吉の保護が役に立たなかったのね。
会津92万石は蒲生に与えられて、葦名は数万石しか残らなかったんだよね。

88 :四郎丸:01/12/15 13:40
江戸重通が里見義頼の援助を受けて北上し、佐竹領へ
侵攻しようとしたため、佐竹義重は独断で離脱した。

この頃の江戸氏なら、いつ佐竹氏を襲撃してもおかし
くない状況ではあったが、よくある謀略の結果と言え
なくもない。

それより、合戦前夜に佐竹義政なる人物が下僕に刺殺
されたのも撤退の理由のひとつとされていて、こちら
も謀略だったかもしれない。この人物がどれほどの武
将なのか資料がないのだが・・・・

まあ伊達氏が自家の記録に「不戦勝でした」などと書
くはずもなく。

89 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 12:39
良スレあげ

90 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/22 12:34
佐竹スレにくらべると全然弱いな

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