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信長軍の足軽は弱かったらしいな

1 :坂上田村麻呂:01/12/04 20:17
でもそれでよくあそこまで勢力伸ばせたな。

2 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:19
弱さゆえに、勝つこともある。
人類が地上の支配者となれたのも、その弱さゆえ

3 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:21
ライオンと人間一対一で戦っても勝てないだろ。信長は頭使ってんだYO!

4 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:22
>>5がいいこと言った

5 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:22
まんこ

6 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:25
>5
(・∀・)イイ!!!!

7 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:29
三河兵一人に尾張兵三人とかなんとか。

8 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:30
弱いわけ無いじゃん。

9 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:30
武田兵と織田兵の比率は?

10 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:37
基本的に商業が盛んな国の兵は弱かったらしい。
(戦国時代も旧日本軍も)

農業しかないところだと封建的な権威がよりいっそう大きくて、
上からの命令は絶対に従うという気風が強いんだと。

11 :軍師唐、じざね:01/12/04 20:40
「尾張兵など1人で5人を相手にできる」と武田軍に侮られ、
弱兵として勇名だった織田軍を無敵の集団として組織〜(中略)
ってPC88の説明書でかいてあるYO。
そういえば姉川の戦いも三河兵が頑張ったから〜
ってコーエーの本に書いてあったっけナ。

12 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:43
>>8
尾張兵が弱かったから信長が
長槍や鉄砲で弱さをカバーした。

しかし兵農分離して戦だけすればよくなった兵が
弱兵っていうのもな・・・

13 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:45
中世武士団のころは、京文化に染まっていた西日本主に畿内の武士団は士気が低かったように記憶している。

14 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:52
大兵力を短期間に集中させ、
必要によっては長期間の維持を可能にさせた「戦略」の有無が
織田が天下人として君臨できた理由ではないだろうか。
兵の質が1:5でも兵力差で10:1にすればよいのだ。

15 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:53
軍団化した理由だな。

16 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:54
弱い弱いというけど、織田兵の強みは年がら年中戦えるという事。
これは無論、兵農分離したからだけど、考えてみてみ。
一年中戦場にいる事がどれだけ大変なのか?
例えば美濃侵攻をみればわかるけど、戦場では信長軍に勝っていたけど
結局、農民兵は戦場にいる事が出来なかった費用的にもそうだけど、
心理的にも限界だった。専業兵士と農民兵の違いはそういうこと。

17 :10:01/12/04 20:55
>>12
兵農分離=季節に縛られない兵の運用。
個々の兵の素質にはあんまり関係ないのでは?
(そりゃ兵の訓練がしやすいので、分離以前よりは強くなると思うが)

自分のイメージでは
尾張等=攻勢時はいいが、劣勢になると逃げ腰
甲斐、越後等=劣勢になっても粘り強く戦う
といった感じでだが。

18 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:58
織田兵って装備は良さそうな気がする。

19 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:58
>17
自分たちの土地があらされ、母ちゃんが犯される姿は見たくないからね。織田軍は土地への執着心がないんだな。

20 :夏侯操 ◆60wHXQlc :01/12/04 21:00
織田が弱いだあ〜
小田の間違いだろ

21 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:01
傭兵なんて、ろくなもん集めてないんだから戦で死ぬつもりなんてさらさら無い
頑張るのは手柄が立てられるときだけ、農民兵は自分の国を守るてために戦うし
戦場で逃げたりすると郷土で告げ口叩かれるし帰れない

22 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:01
大負けしても兵力の回復が早ければ、
傷は浅くてすむ。
何しろ織田は負けた後からの再動員が早い早い。

23 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:05
>>19
同感。
でも、その土地への執着心が武田軍の限界で、
天下を取り損ねた最大の原因だと思う。

24 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:06
なんか、尾張の兵が弱くて三河の兵が強かったってのは、江戸時代の徳川方の
プロパガンダって気がしないでもない。

25 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:08
>>23
んなことない

26 :23=10:01/12/04 21:11
>>25
そうか?

27 :坂上田村麻呂:01/12/04 22:38
じゃあ逆に聞くけどよ、戦国時代に一番強かったと思われるのはどこの兵よ?

28 :ちんこ:01/12/04 22:43
やっぱ薩摩兵

29 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 22:45
甲州兵でしょう。
信玄によってミッチリ鍛えられていたらしい。
武田滅亡後は井伊直政の赤備えとして活躍した。

30 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 22:50
甲州or越後or薩摩のどれか。
尾張兵が弱いってのは本当らしい
兵が弱かったのに活躍できたのは
信長を初めとした指揮官が有能だったから。

31 :ちんこ:01/12/04 22:54
いやいや薩摩兵でしょ!

薩摩統一戦
九州統一戦
対秀吉戦
朝鮮役
関ヶ原戦
琉球遠征     いつでも、どこでも大活躍!!

32 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 22:55
尾張兵が弱かったから
姉川や長篠では敵を圧倒するだけの
兵力を率いて出陣する必要があった

33 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:00
小部隊なら、甲斐。薩摩。越後。三河。
大部隊なら、武蔵。河内。美濃。

34 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:08
薩摩兵は九州征伐の堀ずれに
「毎日城を落とすのは忙しくてかなわない、もう少し抵抗してくれ」
といわれています。

35 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:11
甲斐と越後だね。
でも他地域とさして変わらんと思う。

36 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:12
>34
堀ずれってなに?

37 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:14
>>36
堀秀政だろ?
ずれ=ごときという意味で

38 :夏侯操 ◆60wHXQlc :01/12/05 02:12
紀伊の兵が一番強いにきまってるだろ〜
この国の人達は傭兵として生計立ててたんだからな
実際に雑賀とかすげえもんな

39 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 02:20
信長の兵農分離=実は根拠無し
尾張の弱兵=信秀の時代は戦も強かったのに……
越後の強兵=謙信の時代は確かに強かったが……

やっぱり指揮官の問題だと思う。

40 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 03:58
「兵隊やらなきゃ食ってけない」地域の足軽と、
「兵隊やらなくても食うには困らない」地域の足軽じゃ、
精神面に差が出てもおかしく無いかも。

中、下級指揮官の充実度も大いに関係あると思うけど。

41 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 05:00
でも、大阪城攻めでも上杉軍は名をはせているよ。
それに、たとえば15年戦争でも大阪東京は弱く
九州東北は強かったと言われていたから、やはり
先進地域=都会=弱兵、の法則はホントじゃないのか。

42 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 06:51
>>19
そのかわり武田の兵は武田滅亡時には
逃げまどうばかりでほとんど戦わなかったよ。
農民兵や半農半武はいったん主家を見限ると徹底的だね。

43 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 07:13
だか〜ら〜
>>42
信長の兵農分離=実は根拠無し
尾張の弱兵=信秀の時代は戦も強かったのに……
越後の強兵=謙信の時代は確かに強かったが……

やっぱり指揮官の問題だと思う。

44 :事実から真実を想起せよ:01/12/05 08:09
1.主家が危機に陥ったときの対応
織田=本能寺では逃亡無し全員討ち死 桶狭間でも脱落者無し
武田=滅亡時は家臣一門衆、兵隊のほとんど全部が寝返る。勝頼は逃げ回ったあげく殺された
徳川=今川や織田に寝返る者多数、ついに今川傘下に。桶狭間後は織田傘下に。
     三方が原では武田に大敗。長篠では存在感ゼロ。真田にはこてんぱんにされる。
     関ヶ原でも家臣のはたらきに目立ったものは無い。大阪の陣でも本陣が危うくなると
     家康より先に逃げ出す譜代の旗本たち
2.獲得領土
織田=尾張半国よりスタート30余年で日本の3分の一獲得
武田=信虎が甲斐統一し信濃侵攻。信玄は甲斐一国より信濃駿河+遠江の一部
     勝頼はさらに上州獲得し三河遠江に攻勢かけるも失敗し滅亡
徳川=家康は人質よりスタート。桶狭間のどさくさに三河の一部で独立。ほぼ自力で三河統一
     武田と図って遠江獲得。武田滅亡にさいして駿河を恩賞として信長より拝領。
     本能寺のどさくさに甲斐信濃を獲得。秀吉の命で関東へ国替え石高は大幅に増加・・・後略

45 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 08:25
>>44本能寺は逃亡なしつーか、できる状況じゃなかっただろ。

46 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 08:38
>>44
単に自論(織田マンセー)に不都合な個所を隠蔽してるだけじゃん
織田も今川家に寝返る者が多数いた。
織田家臣だった豊臣は主家を乗っ取ってるし、
簒奪政権に鞍替えする無忠義な織田家臣も多かった。
>織田=尾張半国よりスタート30余年で日本の3分の一獲得
いくらゲーヲタでも織田家の独力で成し遂げたとは思ってないよな?

47 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 08:41
織田なんて、それこそ信長死んだら
とたんに家臣が息子や孫使って大混乱じゃん。

48 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 08:46
>>48が良い事言った!

49 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 09:06
自分かよ

50 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 09:06
織田信長家自体が名門武家ではなく、織田信長のカリスマや統率などの個人的能力に依存していたし、信長死後混乱したのは信長自身が譜代の家臣団を大事にしてこなかったツケダト思う。

51 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 09:10
つーわけで>>44はアホ

52 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 12:01
武田は家な対する義理
織田は信長に対する義理

うーん、織田に関しては賛成だけど、
武田も勝頼に義理立てする者、多かったかな。

53 :これ読んだら?:01/12/05 12:38
www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read007.htm
藤木久志『雑兵たちの戦場』

あと鈴木真也氏の『鉄砲と日本人』がいい。

54 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 14:21
天正元年頃の兵士の強弱(根拠なし)

島津>上杉>武田>徳川>毛利>北条>織田

55 :夏侯操 ◆60wHXQlc :01/12/05 14:24
だから一番は紀伊(雑賀)だって

56 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 14:32
重要なのは最後に勝ったのが家康ということ。

57 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 14:33
>>55
「単なる殺し合いならで勝つ」という比較なら同意する。

58 :57:01/12/05 14:45
「三河・甲州兵みたいに粘ったりするのも強さに加えられてる」
のとは違う、ということ。

59 :坂上田村麻呂:01/12/05 21:29
長曾我部の兵は強かった?
一応四国を統一したけどこれもやっぱ指揮官の問題?

60 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 21:33
一領具足って時代遅れ・・・

61 : :01/12/05 22:54
て優香、半農半兵なんてこの時代珍しく無いのに何故
一領具足だけこんなに有名?

62 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 23:03
土佐では半農半武は名誉とされた。

63 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 23:06
一領具足は大名による国家総動員体制。
ここまでやっているのは通説では薩摩、土佐ぐらい。
甲斐、越後でさえここまでの総動員体制はひいていない。

64 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 00:27
結論!!
一番強いのはアイヌ!!

65 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 00:38
姉川戦後の稲葉一鉄のエピソードは創作なの?

66 : ↑:01/12/06 20:54
どんなの?

67 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 21:08
戦争で個々人の武勇なんて意味無いからねえ

68 :坂上田村麻呂:01/12/06 21:10
>64
アイヌ人は戦の時鉄砲の音を聞いて逃げ出すほどだから、、、
それに兵法を知らない。

69 :蠣崎信広:01/12/06 21:32
>>68
お前の認識古すぎ。

70 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 21:40
>>69
そら坂上田村麻呂だから

71 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 21:42
認識古いといえば、ドキュソ司馬さんの小説が与えた誤りが凄いよな。

72 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 21:42
ナコルルたんみたいなのは本当にいたんだろうか。
いたなら最強。

73 :蠣崎信広:01/12/06 22:28
>>70
いや。。。。。いいや。君はなんというか・・・・・だめ・だ・・・な・・・・・・。

74 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 22:43
>>65
姉川の戦いで側面ついたのと関係が?

75 :坂上田村麻呂:01/12/07 22:33
>69
じゃあ正しい認識はなによ?

76 :坂上田村麻呂:01/12/08 21:24
おいおい69は言いっぱなしかよ、、、

77 :有楽斎:01/12/09 20:23
>>44
オレは隠れて助かったけど、何か?

78 :信忠:01/12/12 10:32
>>77
お前は妙覚寺にいただろーが! どうせ殺す価値もない下人だと思われたんだろ。

79 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 01:19
「下天は夢か」に、
織田と浅井の足軽連が土木現場で喧嘩して
多勢の織田方がアッという間にボコられ
数丁も逃走するシーンがあったような。

あの時代に鉄砲が伝来してなければ
信長は天下取れなかったんじゃないか
と思うことがある。

80 :飛蝗:01/12/23 01:40
一人一人の腕力の強弱は余り問題では無いと思われ。
肝心要は、一兵卒が何の疑いも無く、一つの作業に一心不乱に取り組む事が可能な
作戦を組み立てる事が出来るか否かがポイントと思われ。

81 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 02:21
アメリカ軍の歩兵だって弱かったゾ。

アメリカの将軍、ドイツの士官、日本の下士官・兵士を集めれば、最強の軍隊ができる。

82 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 02:28
>81
ヒトラーとかは、「堕落した民主主義国家」アメリカの子弟は兵として
全く軍国ドイツ兵の敵ではなく、戦ったらイタリア兵のように一瞬で
崩壊する、とか考えていたが、蓋を開けてみると、アメリカ兵は
(ビンボ国日本とかと比べればゼイタクな兵ではあったが)
決して弱兵ではなく、合理的かつねばり強く戦い、ヒットラーは
自分の認識の誤りを知り憮然とした、とあった。

83 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 06:50
>>81
はあ?
第二次大戦中のドイツの強さは下士官の強さだったんだが・・
第一次大戦で破れたドイツは十万の兵力に制限されたが。
士官の数は制限されたが、下士官の上限は設定されてなかったので、
全員を最低、下士官にする方針がとられ、全員を最低、小隊の指揮がとれるように入念に教育されたという。
そのため、ドイツの下士官は他国の士官なみの有能さだと恐れられた。
アメリカの将軍ってのもわからないなあ・・・
ドイツの将軍は最も優れてたしね、
アメリカの経済と生産力と政治家、ドイツの技術と将軍と下士官、日本の兵士が正しいのでは?

スレ違いスマソ

84 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 21:22
>>81
フー。
独の下士官は職業軍人 ちなみに士官はオタク。
米の将軍も職業軍人  ちなみに兵はDQN。
日本の兵は逃げ場がなくて戦うしかない(ヤケ)ちなみ・・・書けません(TT)。
だから強い。
すれ違い須磨祖。

85 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 21:50
非民主主義の方が兵は強くなるのかね。
民主主義では人的損害が著しくなればそれは支持率低下に繋がるし。
神風特攻隊も民主主義国家相手だからこそ有効だったの鴨。

戦国時代で言うと、(本当に)全く死を恐れない一向一揆軍や島津軍はやはり強かったと。

86 :無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 21:53
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1009010595/

これはどうよ?

87 :坂上田村麻呂:01/12/23 22:07
今もこのスレが生きてることに深い喜びを感じる俺!

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